さり気ないJRA
きけば、わたしに出した料理のメニューをメモにしてとってあると言うのだ。
以来、わたしも「ジラルデ」で食べた料理については、あとで克明にメモをつけるようにかっか。
この日、ジラルデさんが組んでくれたメニューは次のようなものだった。
アスパラガスのシャルトルーズートリュフとモリーユ添え。
アスパラガスの穂先を揃えて立てて並べ、その中に鶏とモリーユ茸のムースが入っていて、トリュフを刻んだソースが敷かれてあった。
アスパラガスの穂先は、空豆のような味がして、トリュフのソースが香った。
香草のトルテローニ・小いか添え。
トルテローユはイタリアのパスタで、このところジラルデさんが凝っているもの。
秋なら、白トリュフとかえるのもも肉のリゾットという逸品がある。
中華でいえば、小龍包のようなトルテローニには香草と牛肉が詰まり、そのまわりに小いかをソテーしたものが散らしてある。
パスタのうまさには舌を巻いた。
かれいの蒸し煮・胡價添え・香草ソース。
かれいは身がプリプリとして、スイスでこんな新鮮な魚が食べられることに、一同がみなびっくり。
そのかれいには、ほとんど塩を感じない。
かれいの上には、赤、黄ピーマン、それに黒オリーヴの繊切りがのっていた。
ソースは香辛料の香りが豊かで、このソースのおいしいことといったらなかった。
オマール海老のロースト・新じゃがいものピューレ詰め。
殻つき半身のオマールにナイフを入れると、キュッキュッと音を立てる。
身を殻からはずすと、その殻にはじゃがいものピューレが詰めてあった。
このじゃがいものおいしいこと。
そして、そのじゃがいもの甘みがオマールにことのほかよく合った。
ソースは、オリーヴオイルの軽いソース。
乳のみ仔羊のローストーセージ風味。
生まれたばかりの溶けるように柔らかな仔羊の肉に火を通し、セージの香りを添えてある。
仔羊の香りにセージのやさしい香りが生きてじつにエレガントな肉料理たった。
デザートは、まず四種のシャーベット(レモンライム、バナナ、ロゼのグレープフルーツ、キウイ)に三種のアイスクリーム(ヴァニラ、キャラメル、チョコレート)。
そのあとにもう1皿、パイナップルを甘酸っぱく煮たものをビスキュイに詰め、その脇にアーモンドのアイスクリームを添えてあった。
ワインは、スイスの白ワインを飲んだあと、ブルゴーニュのジュヴレーシヤンベルタンをあけた。
そして、これだけ食べて飲んだあと、ディジェスティフに、カルヴァドスのペイードージェ12年ものをいただき、ようやく昼ごはんが終わった。
時計を見れば四時である。
タクシーを呼んでもらい、なんともいえないいい気分いい酔い心地で、ジュネーヴのホテルへ戻った。
「今夜の夕食は抜きだね」と言いながら、ホテルで部屋の鍵をもらい、エレベーターに乗ると、小さなお知らせが目についた。
「リシュモンの音楽の夕べ」と題して、ソプラノのレッラークペルリのリサイタルの案内だった。
日時は、なんとその晩の八時からだった。
クベルリは、以前ウィーン国立歌劇場の来日公演でのロッシーニの「ランスヘの旅」でとても印象に残っていたソプラノ歌手だったから、そのことを皆に話すと、ぜひききましょう、ということになった。
わたしは、そのエレベーターでロビーへ引き返し、コンシェルジュにチケットの手配を頼んだ。
その晩のコンサートにもかかわらず、ホテル主催の音楽会なものだから、コンシェルジュは一等席の切符を用意してくれた。
何という贅沢だろう!昼は「ジラルデ」でおいしい料理を食べ、夜はホテルでクペルリを音楽会を催すといっても「リシュモン」は大きな宴会場を持っているわけではなく、客室数にしたって百室ほどしかない小さなホテルである。
コンサートが開かれる広間は、一階のレストランのとなりにあった。
仮設の舞台にはピアノが一台、あとは広間いっぱいに椅子が並べられてあるが、それでも二百席には足らない感じである。
コンシェルジュからチケットを受けとり、列のあとについて広間へ入り、自分の座席を捜しか。
仮設の椅子だけに、番号札がつけられているのだが、どうやらわたしの席にはすでに人が座ってしまっているようだった。
「失礼ですが、あなたの席の番号は何番でしょうか」と、わたしは自分の座席にすでに座っている大柄の婦人に尋ねた。
すると、その婦人は、自分の切符も見ずに「この席はわたしの席ですよ」と言って、わたしの顔を見た。
わたしは、そのあまりに自信たっぷりに言う彼女の物腰に押されて、そのとなりに黙って座ることにした。
座った瞬間、となりの婦人に見覚えがあることが浮かび、そっとその横顔を覗きこんだ。
〈なんと、ジョーンーサザーランドではないか!〉デイムの称号をもつソプラノ歌手が、わたしのとなりに座って、クペルリの歌を一緒にきく。
サザーランドといえば、わたしが中学三年生のとき、初めて買ったベートーヴェンの。
第九”のレコードでソプラノをうたっていた歌手だった。
指揮は、エルネストーアンセルメで、オーケストラは、スイスーロマンド管弦楽団。
スイスーロマンドは、ジュネーヴを本拠地としたオーケストラだけに、何か因縁めいて懐かしかった。
クベルリは、モーツァルトとイタリアオペラのアリアをうたったが、大喝采たった。
この日は、旅の一日としては贅沢極まりない一日で、旅をしていると稀にこんな日に出合うこともある。
ウィーン「ホテルーザッハ」とレストラン「シュタイラーエック」先般、アルトゥーロ・ベネデッテイーミケランジェリが来日して、ピアノーリサイタルとコンサートを開いた。
ミケランジェリというピアニストは滅多に演奏会をやらないことでよく知られ、大まえにすらほとんど姿を現わさない。
生きていながらすでに伝説的なピアニストである。
そのミケランジェリが久かたぶりに日本へやってきてピアノを弾く。
わたしはこの人のピアノをCDでしかきいたことがなく、なんとしてでも生演奏に接してみたいと思っていた。
そこでリサイタルの切符を手に入れようと、発売前日、徹夜を覚悟で銀座の主催音楽事務所へ出かけていった。
すでに何人もの大が列をつくりはじめていた。
その列の中に加わりながら、熱烈な音楽ファンの大たちのおしゃべりに耳を傾けた。
そこでわたしは飛びつきこの情報を耳にした。
“カルロスークライバーが、来年の五月十五、十六日、ウィーンーフィルの定期を振る”というのだ。
クライバーこそは、わたしが最も好きな指揮者、音楽家であり、そして、ミケランジェリ同様、指揮台に上ることが極めて少ない指揮者なのである。
ただこう書くだけだと、稀少価値のみと思われてしまうが、そうではない。
音楽する条件が整わなければ棒を振らないだけのことである。
クライバーについての詳細は、拙著「プロフェッショナルの本領」ですでに書いたのでここでは省略するが、ライヴの魅力に溢れた演奏をきかせてくれる稀な存在といってよい。
にもかかわらず、年に三、四回、オーケストラーピットヘ入ってオペラを振るぐらいで、オーケストラのコンサートとなると、年に一、二回あるかないかといった程度なのである。
なんとしてでも、来年五月にはウィーンラサヤフ・ミケランジェリの前売券を手に入れるための行列の中で、そう心に決めた。
一九九三年五月十五日、わたしは運よくウィーンへ出かけることができた。
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